エキスパートに学ぶ 第9回 食品の安全とリスクコミュニケーション

第9回

食品の安全とリスクコミュニケーション

情報社会で増す食品不安に、
科学に基づくコミュニケーションを

公益財団法人 食の安全・安心財団 理事長、農学博士、獣医師

唐木英明 先生

日常生活の中で、多くの人が気にかける食品の安全。必要な情報はインターネットから得られやすくなりましたが、危険な成分や危ない食品といった話題も多く、何を信じたら本当に安心できる食生活が送れるのか、迷わされることも多くなりました。今回は、食品の安全を守る立場で長年尽力されてきた唐木英明先生に、食品と健康被害の実情について、またリスクを正しく伝え、それを理解して正しい判断につなげるために必要なリスクコミュニケーションについてお話を聞きました。

食中毒の原因はほとんどが自然由来のものという事実

はじめに、日本では食中毒など食品が原因になっている健康被害がどれくらい起きているのか教えていただけますか?

唐木先生

少し年代を遡ってみてみましょう。グラフで示したのが1876(明治9)年から2011(平成23)年までの食中毒の統計です。明治から終戦までは届出患者数が非常に少なく示されていますが、これは統計がしっかりとられていなかったためで、実際の数を反映したものではありません。その間も死亡者は毎年200~300人に上っていましたし、実際にはその何倍もいたと思われます。その後高度成長期からは届出数が毎年3万人ほどで一定で推移していますが、死亡者は減少の一途をたどっています。ここには食品衛生の向上や医療の進歩が反映されているのです。しかし、死者数は減っているが患者数はあまり変わらないという状況は、食品自体の問題が依然解決されていない側面があることを物語っているといえるでしょう。

食中毒患者届出数と死亡者数(1876-2011)

では、どのような原因で食中毒は起きているのでしょうか?

唐木先生

厚生労働省がまとめた2019年のデータを見ますと、トータルで1000件余りの食中毒事件が起こり、患者数は1.3万人、死者4人となっています。患者数が最も多いのはウイルスが原因のもので約7000人、その多くをノロウイルスが占めています。このウイルスによる中毒は以前から生ガキが原因で多く起きています。これはもともと人間の消化管の中にいたウイルスが糞便に出て、下水を経由してカキの養殖場に流れ、カキを汚染するという循環が起きていました。最近は下水道が整備されて衛生状態が改善されつつあり、きれいな海で養殖されたものは「生食用」として販売されています。ウイルスの次に多いのはサルモネラ菌、ブドウ球菌などの細菌、3番目が寄生虫です。他にキノコやフグなどの自然毒による中毒も起きています。 そして、皆さんが一番気にしているであろう化学物質ですが、229人の患者数になっています。化学物質というと農薬や食品添加物を想像する人が多いと思いますが、化学物質による食中毒のほとんどはヒスタミンという物質が原因です。よく青魚のヒスタミン中毒を聞きますが、これは青魚にはヒスチジンというアミノ酸が多く含まれ、そこに細菌が作用するとヒスタミンに変換されて中毒を引き起こしているのです。ですから化学物質に分類されているものの、ヒスタミン中毒はもともと微生物による食中毒であり、この他の化学物質による食中毒はほとんどみられないのが現状です。

食中毒の原因と発生の状況 - 厚生労働省 令和元年 食中毒発生状況 -

食中毒のほとんどが自然の物質が原因とは意外です。

唐木先生

最近の人工化学物質による食中毒は、例えば洗剤を間違えて飲んでしまった、とか漂白剤を誤って食品に混ぜてしまったなどのごくわずかな事例であり、食中毒は天然に存在するウイルス、細菌、寄生虫などがほぼすべてを占めているのです。

NASA生まれのHACCPで、食品安全の徹底を目指す

食中毒防止など食の安全を守るためにどのような対策をとっているのでしょうか?

唐木先生

世界中で食中毒をなくそうという取り組みが行われる中で、近年各国でとり入れられているのが「HACCP(ハサップ、Hazard Analysis and Critical Control Point)」という衛生管理の手法です。日本語にすれば危害分析重要管理点となりますが、国内でも2018年の食品衛生法改正に伴って食品関係の事業者にはHACCPに基づいた管理が義務化されました。
そもそもHACCPは、アメリカ航空宇宙局・NASAによって生み出され、宇宙飛行士が宇宙船の中で絶対に食中毒を起こさないためにはどうしたらよいかを追究した方法でした。従来、食品の安全を守るためには、食品加工業者が製品を製造したとき、あるいは小売業者に届けられる前の段階で最終製品の微生物や化学物質の検査を行っていました。しかしそれでは不十分ということで、フードチェーンつまり農業者等が農産物を生産し、事業者が加工して製品にし、消費者が購入するまでの食品供給行程の全体で、どこで食品に危害が加わるかを洗い出し、その危害要因を除去・低減する特に重要な工程を決定するというのがHACCPによる管理です。

HACCP(ハサップ)衛星管理

HACCPとは、食品等事業者自らが食中毒菌汚染や異物混入等の危害要因(ハザード)を把握した上で、原材料の入荷から製品の出荷に至る全工程の中で、それらの危害要因を除去または低減させるために特に重要な工程を管理し、製品の安全性を確保しようとする衛生管理の手法です。

特に厳重に管理する必要がある工程、または、重要な危害要因(ハザード)を低減・除去できない重要な工程では、管理するための基準を設定、連続的に確認します。また、これらが十分に基準を満たしているかを検証し、必要に応じて改善することがHACCPの特徴です。

厚生労働省ホームページより

危害要因(ハザード)

  • 生物的危害(病原微生物など)
  • 化学的危害(残留農薬、抗生物質、洗浄剤・消毒剤等)
  • 物理的危害(金属片、ガラス片等)

食品加工の段階をより細かく分析して、安全のための対策がとられているのですね?

唐木先生

原材料から製品になるまでの間で、細菌やウイルスに汚染されるかもしれない、あるいはこの工程では熱処理が足りないと細菌が増える、ここでは冷却が不十分だと危ない、等々あらゆる段階に対する危害要因を分析して、重要なポイントを適切に管理することで、最終製品の安全を守っています。