

第16回
日本人と糖尿病
高齢化や生活の多様化で変化する
糖尿病への対応
医療法人財団慈生会野村病院常勤顧問
東京慈恵会医科大学名誉教授
宇都宮 一典 先生
【食事療法】
数値目標の食事療法から、個々の状況に合わせた指導へ
食事療法の基本的な考え方を教えていただけますか。
糖尿病における食事療法の意義

現在の食事療法に求められていることとはなんでしょうか?
宇都宮先生
日本糖尿病学会が食事療法の指針を定めたのは昭和40年のことで、この年に初めて食品交換表ができ、エネルギーを何キロカロリーにしなさい、炭水化物、たんぱく質、脂質をそれぞれ何%にしなさいといった基準を設けて、啓発を始めました。以後、これらの基準は広く社会に浸透し、生活習慣病治療の基本となりました。当時はそれに違和感を覚えなかったのです。しかしいま、国民の生活習慣、なかでも食が多様化して食べるものがみんな違うようになって、一定の数字だけを掲げてこうしなさいという指導が実効性を失ってきています。もちろん、肥満の是正に大きな意味があることに変わりはなく、2型糖尿病のヘモグロビンA1c(過去2か月の血糖値を評価する指標)の低減と体重の低減量とは密接な関係を持っています。ですから体重の適正化が非常に重要なことは間違いないのですが、何カロリーにしなさいと数値だけを示してもうまくいきません。その人の食習慣を尊重した上で、どこを直していけば良いかを具体的に話すこと、つまり個別化がいまは求められています。
もう一点、重要な変化があります。昭和30年代、日本人ではBMI30を超える重度の肥満はないとされていました。しかし現在では、その程度の肥満の方が日常的にいらっしゃいます。これまで理想の体格をBMI22としてそれを目指した減量を指導してきましたが、BMI30の方ですと体重100 kgくらいあり、BMI22 が70 kg程度として、そこまで減らせというのは無理なわけです。最初から無理な目標を掲げれば、患者さんは逃げてしまいます。患者さんの状況に合わせて考え方を変えなくてはいけなくなっています。
「食習慣は変えられない」という前提で改善を考える
食事療法の個別化にとってどんな点が重要になりますか?
宇都宮先生
「楽しく美味しいものを食べてください」ということを主眼にした食事指導であるべきだということです。絶対に、あなたの食生活はダメだというメッセージを出してはいけません。好きなもの、甘いものを食べてもいいんです。まずはその人の食習慣をよく見て、何の嗜好があるのか、どんな問題があるかを見極めて、むしろ食習慣を尊重したうえで、どこを改善していけばよいかを考えることが大切です。
人それぞれの食習慣は変えられないということですね。
宇都宮先生
世界中のデータからも示されているのですが、食習慣を変えることはとても難しいことです。欧米では脂質摂取量が多いので脂質を制限する、日本人は炭水化物が多いので炭水化物を制限する、そういった制限の効果は数多く報告されていますが、一年くらいで元に戻ってしまうのです。やはり、子供の頃から培ってきた食習慣を変えさせるのは難しく、食習慣は変えられないことを前提にして、食事療法を考えていくことが必要と考えています。
楽しく美味しい食事療法とは具体的にどんなイメージでしょうか?
宇都宮先生
たくさんの食材を摂ることが、美味しい食事療法のコツということをお伝えしたいと思います。それには、和食が一つの基本になると思います。手の込んだ割烹料理などではなくて、昭和40年代頃の普通の日本人の食事です。たくさんの食材を使って、野菜も多く摂り、四季折々の旬を味わうといった庶民の食事です。そこから食塩だけ減らせばよい。和食は庶民が長く培ってきた食文化であり、日本人の健康や長寿を支えてきたという大きなエビデンスがあるんです。
【糖尿病の予防】
まず体重の変化をチェック、健診では血糖値以外にも注意を
糖尿病を予防するために普段から気をつけておくべき指標はなんでしょうか?
宇都宮先生
なんといっても体重が重要です。健診などで異常がない方であれば、現体重を維持することが大切で、それが急に増え始めた際には血糖値や中性脂肪、コレステロール、血圧がどうなっているかをチェックしてください。例えば年末年始や仕事が多忙で体を動かせないとき、あるいは女性なら更年期など、体重増加の要因になりますので、毎日体重計にのってみる習慣をつけると良いでしょう。
健康診断ではやはり血糖値に注意しておけばよいですか?
宇都宮先生
糖尿病というと血糖値のみに関心が行きがちです、その前の糖尿病予備軍の状態、メタボリックシンドロームで血管障害が進行することを忘れてはなりません。そのリスクの高い状態を早くキャッチすることが重要で、血糖値が上がる前に中性脂肪やLDL(悪玉コレステロール)が上がったり、HDL(善玉コレステロール)が下がったり、血圧も少し上がってくることに注意が必要です。また、日本人は脂肪肝を起こすリスクも高いので、肝臓の数値が動き始めたら要注意です。
血糖値の前に他の数値が動き始めるのには理由があります。血糖を下げるように働くインスリンは膵臓のβ細胞から分泌されますが、この分泌能力が50%まで低減すると血糖値が上がってきます。逆に言えば50%まで落ちなければ血糖値は上がってこない。しかし、その前に中性脂肪やコレステロール(悪玉)、血圧が変化します。血糖が上がる以前に、これらのパラメーターの動きを捉えることが大切なのです。
糖尿病性血管合併症の成り立ち

日本の食文化が健康づくりを支える
糖尿病予防のための食生活についてアドバイスをお願いします。
宇都宮先生
よく聞くのが、ご飯の何分前に野菜を食べればよいかといった質問です。私も実際に研究したことがありますが、確かに野菜を先に摂った方が食後の血糖値が少し緩和されることは間違いないのです。ただ、知っていただきたいのは、厳密に何分前がよいかといったことではなく、同じものだけを一気に食べるような食事はやめましょうということです。和食の習慣である、ご飯とおかず一皿一皿を順繰りに食べて、それを繰り返して食事を終える、それが良い食べ方でしょう。ゆっくり少しずつさまざまな食材を摂るということです。
また、和食には、日本人特有の四季の感覚、食器や盛り付けに対するこだわり、そういった美的感覚を備えていて、食を多様な観念で楽しむ独特の食文化です。いま、それが経済的問題もあってチープなものになってきている。決してコンビニや外食が悪いわけではないですが、世界に誇れる日本の食文化をもう一度思い返していただくことが、結果的には健康につながるのではないかと思います。
低糖質がもてはやされていますが、意識して炭水化物を減らす必要はありますか?
宇都宮先生
先ほども触れましたように、炭水化物の摂取量が多いと糖尿病になりやすいのかどうか、これまでの研究では明確になっておらず、炭水化物を摂ったら糖尿病になりやすいと考える必要はないのです。食事療法では糖質制限が話題になりますが、糖質制限は1年未満の短期間では体重減少に効果がみられるとされています。しかし、これは糖質制限が同時に総エネルギーも下げていることが考えられますので、低糖質だけの効果とは断言できないでしょう。また、腎臓の悪い方や高齢者では、勧められません。主治医がいる場合は、ぜひ相談してください。
糖尿病への対応は、人々の暮らしや社会の変化と切り離せないものであり、日々アップデートされているということがよくわかりました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
取材日:2025.2.15
宇都宮 一典 先生
医療法人財団慈生会野村病院常勤顧問
東京慈恵会医科大学名誉教授


略歴
- 1979年4月
- 東京慈恵会医科大学卒業
- 1985年3月
- 同大大学院修了
- 1996年1月
- 東京慈恵会医科大学内科学講座第3講師
- 2002年6月
- 東京慈恵会医科大学糖尿病・代謝・内分泌内科准教授
- 2010年4月
- 同上主任教授
- 2015年8月
- 東京慈恵会医科大学内科学講座総括責任者
- 2016年4月
- 東京慈恵会医科大学医学科長
- 2019年4月
- 東京慈恵会医科大学総合健診・予防医学センター長
- 同上 臨床専任教授
- 2020年6月
- 日本糖尿病療養指導士認定機構(CDEJ)理事長
- 2022年4月
- 医療法人財団慈生会野村病院常勤顧問・東京慈恵会医科大学名誉教授
所属学会ならびに
役員、学会
日本糖尿病学会名誉会員、第61回日本糖尿病学会年次学術集会会長(2018年5月)、日本栄養・食糧学会名誉会員、日本糖尿病合併症学会名誉会員、日本食品機能医用学会理事、日本糖尿病性腎症研究会顧問、日本糖尿病財団理事、日本内分泌学会功労評議員、日本腎臓学会学術功労評議員、日本動脈硬化学会評議員
主たる研究テーマ
糖尿病性腎症を中心とした糖尿病性血管障害の成因と治療、動脈硬化症の成因と治療に関する研究、糖尿病の食事療法に関する研究

宇都宮先生
一般的な糖尿病の食事療法は、まず総エネルギーを設定して、炭水化物(糖質)、たんぱく質、脂質の三大栄養素の比率を決めます。さらに血圧の高い人が多いので、減塩をお勧めすることになります。総エネルギーを設定する目的は、インスリンがうまく出せない状態では、過剰にエネルギーを摂取してしまうとインスリンのキャパシティをオーバーして血糖値を上げてしまうため、そこを適正量にするということです。さらに肥満の方はインスリン抵抗性があり、燃費の悪い状態になっていますので、肥満を是正することでインスリンの作用を促す目的もあります。このようなことを通して、糖尿病に起因する高血糖や高い中性脂肪やLDL(悪玉コレステロール)、さらに高血圧症を是正して、最終的に合併症を抑えようというのが根幹の目的です。ただ、近年の生活習慣の多様化によって、食事療法もそれに対応した変化が求められています。