エキスパートに学ぶ 第16回 日本人と糖尿病

第16回

日本人と糖尿病

高齢化や生活の多様化で変化する
糖尿病への対応

医療法人財団慈生会野村病院常勤顧問
東京慈恵会医科大学名誉教授

宇都宮 一典 先生

生活習慣病の代表である糖尿病では、食事・運動療法が治療の基本になっています。高齢化や生活習慣の多様化など、時代とともに変わる社会環境の中で、患者さんにどのような変化が見られるのか。現在の日本人の糖尿病について、長年この領域で研究や治療にあたられてきた宇都宮先生にお話を伺いました。

【宇都宮先生の経歴と現在の活動について】
腎症に取り組む糖尿病専門医の先駆けとして

宇都宮先生が糖尿病研究に進まれようと思われたきっかけから伺えますか。

宇都宮先生

昭和54年に慈恵医大を卒業後、内科へ進み、がんの研究をしたいと考えていました。当時のがんの治療は抗がん剤による化学療法が端緒についた頃で、現在のように効く薬がありませんでしたので、手術ができない患者さんは抗がん剤を使っても、よくなるかどうかわからない。緩和ケアという言葉はまだなく、医療用麻薬も十分には使えない状態でした。ですから患者さんは、辛い痛みにひたすら耐えるようながん治療だったわけです。そこで抗がん剤の勉強をしたいと思い、がんの研究室があった慈恵医大第三内科・阿部正和先生が主任教授でいらっしゃった教室に入りました。阿部先生は我が国の糖尿病研究の第一人者で、その後の私の恩師にあたる先生です。
当時は本人にがんの告知をしない時代で、患者さんは自分の余命もわからず、ただ痛みに耐えていました。しかし、もっといい余命の過ごし方があるのではないか、その人に寄り添うような医療があってもいいのではないかと、私は研修医なりに考えていました。そんな折に阿部先生が医学雑誌の座談会で、末期のがん患者さんについて「痛みや苦しみを和らげることを優先し、残された時間をどのように過ごしたらいいかについて患者さんやご家族と一緒に話し合い、そのための医療を提供すべきだ」と意見を述べておられました。糖尿病の大家でおられ、糖尿病のこと以外は関心をお持ちでないのではないかと想像していましたので、大変驚きまして、こんな先生の下で勉強したいと発起した次第です。

恩師との出会いから、糖尿病を専門にしようとお考えになったわけですね。

宇都宮先生

阿部先生を見て、糖尿病やがんなど特定の分野ということでなく、内科全般に非常に深い見識を持たれ、内科医として素晴らしい、こんな医師になってみたいと思いました。そんな方が専門にされている糖尿病ってどんな疾患だろうともう一度勉強してみたところ、これが非常に面白く、学生時代から好きだった生化学の知識を駆使して、糖尿病を理解することに楽しさを感じ、自らの専門にしてみようという思いを抱きました。

糖尿病研究ではどこに重点をおかれましたか?

宇都宮先生

入局後、がんや循環器など各分野を学ぶうち、改めて糖尿病が合併症として心臓や腎臓などの多臓器障害を起こすことに気づき、それを予防するのが糖尿病専門医の役目だと思い至りました。そこで、合併症の原因を究明するために、自分なりの「武器」を持つべきだと思いまして、好きだった生化学を生かせないかと考え、大学内で留学する形で栄養学教室に派遣してもらい、栄養学の基礎研究に従事しました。2年間栄養学を学び、そこから得た知識で、糖尿病の最先端の治療にどのように貢献すればよいか、毎日そんな思いで糖尿病の診療に向き合うことになりました。

糖尿病治療にはどのような思いで取り組まれてきたのでしょうか?

宇都宮先生

糖尿病学のなかで何をテーマとするかと考えたとき、糖尿病性腎症を中心に合併症の成因の解明と新たな治療法の開発を目指していこうと考えました。というのも、当時糖尿病患者さんの死因のなかで、最も多かったのは腎不全だったからです。糖尿病性腎症が進行して透析に入ると2〜3年ほどで亡くなられる方が多く、糖尿病治療にとって大きな課題でした。ところが透析に入れば腎臓の先生方の領域であり、糖尿病専門医は踏み込むことがなかった。一方、腎臓専門医にとっては、敗戦処理の感じがある。ですから、当時は糖尿病専門医の立場で、糖尿病性腎症を研究する医師も施設も非常に限られていました。しかし、腎症による透析は増加の一途を辿っており、将来的に大きな問題になるだろうと思いました。しかも、腎症の発症時は糖尿病専門医が診ていますので、これは糖尿病専門医がしっかり管理すべきと考え、自ら取り組んで行くことにしました。当時としては周囲から変人扱いされることもあったのですが、危惧した通りに糖尿病性腎症は透析の原因疾患1位となり、これを減らそうと国家的プロジェクトも立ち上がるほどになりました。近年、糖尿病性腎症による透析導入数は少し減少する傾向をみせており、当時からの苦労が報われたと感じています。

歩んできた人生を知らなければケアはできない

現在の診療活動について教えてください。

宇都宮先生

慈恵医大を定年退職後、予防医学センターのセンター長を経て、現在は在宅医療を中心とした診療に携わっています。自分の経験を地域医療に活かしたいという気持ち、そして開業医だった父が昼夜問わずの診療のなかで夜に鞄を持って出かけていく姿などを見ていたのが原風景でもあり、自分もいつかそのような医者になりたいと思っていました。

在宅医療の現場でどんなことを感じられていますか?

宇都宮先生

2025年問題といわれますが、ベビーブーマーが後期高齢者になり、もの凄い数の介護を必要とする人たちの母集団が生まれています。その方々が自宅で過ごし、看取られることを考えた時、医療がどうサポートできるかは本当に大きな問題です。国としても医療や介護スタッフが関わっていくための制度上の建て付けは造っていますが、圧倒的にマンパワーが足りないし、そのための教育も十分ではない状況です。システムは用意されていても、中身が未成熟なのです。
そして、在宅の方々を訪問して思うのは、その人がどういった人生を歩んできたかを知らなければ望まれているケアができないということです。様々な方の人生の終焉に接し、そこでいろいろな人生のお話を聞くことができることは、貴重な経験です。90歳でしたら戦争を経験し、本当にご苦労されてきた方もいらっしゃる。一人ひとり違う過去を知り、どう最期を迎えたいかを確認した上で、ケアを考えなければならない。ところが、認知症が進んでしまうとご自分の意志が伝えられない。それなら家族で人生会議を開いてとなりますが、親の価値観を子供が十分に把握しているとは限らないのです。疎遠になっているケースも少なくない。今後そんなケースにどう対処していくべきか、通り一遍のことではないと日々考えています。

【糖尿病とは】
2型糖尿病に関与する遺伝的体質と生活習慣

糖尿病とはどのような病気でしょうか?

宇都宮先生

糖尿病は、膵臓から産生されるインスリンというホルモンの欠乏やその働きの低下によって起こるさまざまな代謝異常の症候群です。ヒトの体をクルマのエンジンに例えると、エンジンはガソリンを燃やしてクルマの回転エネルギーに変えていますが、ガソリンにあたるのが炭水化物の最小単位となるブドウ糖です。インスリンにはガソリンに火をつける、つまりブドウ糖をエネルギーに変える作用があります。食事で炭水化物を摂取すると消化吸収され、血液中にブドウ糖が供給されます。これをインスリンの働きでエネルギーに変えるという仕組みです。

インスリンの欠乏や働きの低下はなぜ起きるのでしょう?

宇都宮先生

そこには二つの要因があります。一つは膵臓でインスリンを造り出すこと、これを産生・分泌といいますが、その力が少し弱い遺伝的な体質があることが挙げられます。糖尿病の診察で最初に必ず「ご両親に糖尿病の方はいますか?」とお聞きするのはこのためであり、この体質はアジア人に比較的多いのが特徴で、研究により現在までに数百の遺伝子異常が関与していることがわかっています。それでも、特定の遺伝子異常では説明ができず、未だ解明できない部分が多く残しています。
もう一つの要因は過剰な栄養分の摂取、つまり食べ過ぎに関わるものです。食べ過ぎれば、その分だけインスリンが必要になりますから、たくさん浪費してしまうことになります。さらに、肥満の方、特に内臓脂肪型の肥満あるいは脂肪肝になった場合には、それらの脂肪からインスリンの働きを妨害する物質が出てきて、ブドウ糖をエネルギーに変えにくい、エンジンの例えで言えば非常に“燃費の悪い”体になってしまいます。このインスリンが働きにくくなることを「インスリン抵抗性」と呼んでいます。

インスリンを出しにくい体質とインスリン抵抗性が合わさって糖尿病が発症するということですね。

宇都宮先生

そうですね。ただし、すべての糖尿病がそうだというわけではありません。糖尿病は1型と2型に大別され、これまで述べたのは2型糖尿病の要因です。いっぽう1型糖尿病は、生活習慣とは全く関わりなく発症するものです。1型の場合、膵臓でインスリンを出すβ細胞が「自己抗体」によって壊されて、インスリンを出せなくなってしまうことで起こります。小児など若い方に多いですが、年齢に関係なく起こりますから、糖尿病の初診例では必ずどちらの型なのかを鑑別して、2型の場合には生活習慣の適正化、なかでも食事療法を進めていく必要があります。